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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)946号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実】

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1 被告は原告に対し、金六二七〇万二〇〇〇円及びこれに対する昭和六二年二月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1 被告は、東京都新宿区戸山一丁目二一番一号所在の国立病院医療センター(以下「医療センター」という。)を設置、運営する者であり、原告は、医療センターで診療を受けていた者である。

2 原告は、昭和五四年四月二一日から翌二二日にかけて、胃潰瘍を原因とする大量の吐血・下血をした。そこで、同月二三日に医療センターの消化器科で受診し、即日医療センターに入院したが、さらに数日間にわたり出血が続き、出血性ショック状態になつた。ところが、医療センターの担当医師らは、右大量出血及びこれにともなうショック状態に対して、直ちに輸液・輸血をするなどの適切な処置をすべき注意義務を怠り、同月二八日にようやく輸液をしたに止まり、輸血は一切行わなかつた。

そして、原告は、引き続き入院中の同年五月三日ころの午前一〇時ころ、独力でトイレに行き、大便を済ませた直後出血性虚血状態のためにその場に昏倒した。原告はただちに看護婦らによつてベッドに運ばれたが、右虚血状態を放置されたため、その直後から手指の変形、四肢の麻痺及び知覚鈍麻等の機能障害を生じた。

右機能障害は、出血性ショック状態による循環血液量の減少が改善されずに生じた虚血性脊髄(頚髄)疾患に由来するものである。

3 なお、原告に大量出血があり、ショック状態に陥つたこと及び脊髄疾患を生じたことは、以下の事実から明らかである。

(一) 原告のカルテ、看護記録等によると、入院時において血糖値が高値を示しており、昭和五四年四月二四日時点で、〈1〉苦悶様顔貌、冷汗著明、全身ふるえ、〈2〉脈拍毎分一六〇回弱ないし一二〇回、〈3〉血圧九〇~七二ないし一〇〇~八四ミリメートル水銀柱という状態であつたことは明らかであり、これらはいずれも原告が出血性ショック状態に陥つていたことを示すものである(以下血圧については単位の記載を省略する。)。

(二) 赤血球数、ヘモグロビン濃度、ヘマトクリット値は必ずしもショック状態の指標としては有効ではないが、いずれも低値を示しており、ショック状態を推測させるものである。

(三) 髄液圧の異常な高値は脊髄疾患を示している。

(四) 原告は、医療センターの野上(又は阿久津)事務官から「原告の今回の疾病はセンターの治療ミスであるから、入院費等は払う必要がない」との説明を受け、右支払いを免除された。

4 ところで、原告と被告との間には右大量出血に対して適切な診療を行うことを内容とする準委任契約が成立しており、医療センターの担当医師は右診療契約上の債務の履行補助者として、右大量出血に対して輸液・輸血等の処置をとるべき義務を負つていたのであるから、医療センターの担当医師が輸液・輸血等の適切な処置をとらなかつた過失により、被告は右診療契約上の債務不履行責任を負うというべきである。

5 仮に、右過失が否定されたとしても、原告の上部消化管からの大量出血は、医療センター(整形外科)が原告に対してステロイド剤(プレドニン)を過剰に投与してきたために生じた副作用の結果であり、医療センター担当医師には、右ステロイド剤の過剰投与による過失があるというべきであり、やはり、被告には右診療契約上の債務不履行責任がある。

その詳細は以下のとおりである。

(一) 原告が医療センターの整形外科に通院していた昭和五三年四月一日から前記入院時までの間、担当医師は原告をリウマチと診断して、プレドニンを一日五ミリグラムないし一五ミリグラム程度継続的に投与してきた。

(二) しかし、原告にはリウマチの特徴である全身反応(血液生化学的反応)及び骨のエロージョン、破壊像がみられず、リウマチでないことは明らかであり、そもそもステロイド剤の適応はなかつたし、右使用量は過剰というべきである。原告に生じた機能障害はリウマチによるものではなく、前記のとおり、虚血性脊髄疾患によるものである。

(三) また、医療センター消化器科医師は、同整形外科に対して、原告に対するステロイド剤の投与は妥当ではない旨を度々注意しているが、整形外科医師は、昭和五四年五月一〇日以降もステロイド剤を投与していた。

6 被告の右医療契約上の債務不履行により、原告は前記機能障害を生じ、「身体障害程度」等級一級の認定を受けており、労働能力をすべて失つた。また、原告は、右機能障害の治療のために、昭和五四年七月一七日に医療センターを退院した後、都立駒込病院、順天堂病院、社会保険中央総合病院等にのべ一七五日間通院し、昭和五五年二月二六日から同年五月六日までの七〇日間都立大塚病院に入院した。

以上により原告に生じた損害は、左記(一)ないし(三)の合計六二七〇万二〇〇〇円である。

(一) 逸失利益四一四〇万二〇〇〇円

原告の障害発生以前の年収は三五〇万円であるから、〈1〉昭和五四年七月から昭和六二年一月末までの七・五年分の逸失利益が二六二五万円(3、500、000×7.5=26、250、000円)、〈2〉昭和六二年二月から就労可能な五年間(原告は大正一三年一月八日生である。)につきライプニッツ方式により中間利息を控除して逸失利益を求めると一五一五万二〇〇〇円(3、500、000×4.3294(同係数)=15、152、900円、百円以下切捨て)である。

(二) 慰謝料二〇六七万円

原告の前記後遺症慰謝料としては一九〇〇万円が、入院慰謝料としては八五万円が、通院慰謝料としては八二万円が、それぞれ相当である。

(三) 積極損害六三万円

原告は、都立大塚病院に入院していた間妻の入院付添を受けてその付添費二八万円(一日四〇〇〇円)相当の損害を受け、都立駒込病院等に通院するためのタクシー代三五万円(一往復二〇〇〇円)を支出した。

7 よつて、原告は被告に対し、医療契約上の債務不履行責任に基づき、六二七〇万二〇〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六二年二月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1は認める。

2 同2のうち、原告が昭和五四年四月二一日、二二日に吐血・下血があつたとして同月二三日に医療センター消化器科で受診し、同日入院したこと、同月二八日ころまで原告に輸液・輸血等をしなかつたことは認め、その余は否認する。

3 同3(一)のうち、〈1〉ないし〈3〉の事実は認め、血糖値が高かつたことは否認し、主張は争う。

同(二)ないし(四)は否認ないし争う。

4 同4のうち、準委任契約の成立は認め、その余は争う。

5 同5のうち、(一)は認め、その余は否認ないし争う。

6 同6のうち、原告が身体障害等級一級の認定を受けたことは認め、その余の事実は不知、主張は争う。

三  被告の主張

1 原告にかかわる診療経過及び診療内容は以下のとおりである。

(一) 初診から入院に至るまでの経過

(1) 原告は、昭和五二年一一月一六日、医療センター整形外科外来に受診し、右五十肩、変形状腰椎症と診断された。

(2) 原告は、昭和五三年二月一六日、左肩痛を訴えて、同整形外科外来に受診し、左肩関節周囲炎と診断された(なお、最終的な診断名は、リウマチ性多発性関節炎及び末梢神経炎とされた。)。以後原告は、昭和五四年四月二一日まで継続的に一週間ないし二週間の間隔で同整形外科外来に受診した。

この間、原告に対して、まず非ステロイド性鎮痛剤(オパイリン、ボルタレン等)が投与され、症状に応じてステロイドの関節内注入療法、D-ペニシラミンなどが投与されたが、症状は軽快せず、更に右手関節等にも痛みを訴えるようになつた。そこで、昭和五三年四月一日からは、原告に対してステロイド剤であるプレドニン錠が一日五ミリグラム投与された。その後の同錠使用量は、昭和五四年二月一五日からは同一〇ミリグラム、同年三月二〇日からは同一五ミリグラム、同年四月二一日からは同一〇ミリグラム、同月二三日ないし二四日から同年五月一五日までは投与を中止し、同月一六日から同年九月一一日(終診)までは同一〇ミリグラムであつた。

なお、昭和五四年四月三日からは消炎鎮痛剤インテバンSP(一日三カプセル)が投与された。

このような治療にもかかわらず、原告の症状は軽快しなかつた。

(3) 同月二三日同消化器科外来を受診した際、原告は、昭和五四年四月二一日夕方から夜半にかけて、おちよこ半分程度の血液及び貨幣大の凝血塊を吐出し、同月二二日夕方から二回黒色便を下血した旨を主訴として述べた。

(二) 入院から退院に至るまでの経過

昭和五四年四月二三日

原告は、朝、黒色便を一回下血した。原告は、センター消化器科外来を受診し、消化性潰瘍の疑いと診断された。外来での診察の結果、原告の血圧は一一八~八〇と正常値であり、顔色その他の身体所見から循環状態も安定していると診断されたが、出血源、出血状態が不明であることからこれらを究明し、適切な治療を行うためには入院する必要があると認め、原告は即日、独歩で入院した。入院後も、原告の循環状態は安定しており、血圧(臥位時一一二~七六、起立時一一四~七八)も正常域であり、起立性低血圧を示さなかつた。

なお、外来において採血した血液の検査の結果、原告の血色素(ヘモグロビン)値は一〇・九g/dl、ヘマトクリット値は三二・五パーセントと判明した。

続いて、一六時三五分、原告の胃にチューブを挿入し、胃内容を吸引採取したところ胃液のみで血液の混入がなかつたことから、上部消化器(胃、十二指腸)には活動性の出血はないと判断された。

このように原告の循環状態は安定しており、活動性の出血がないことが確認されたので、食事摂取は可能と判断し、夕食から経口的に水分、栄養の補給をした。そして治療方針としては、内科的薬物療法を行うのが適切と判断し、入院後制酸剤(マーロックス一日七〇ミリリットル)の投与を開始した。なお、ステロイド剤や消炎鎮痛剤の服用は、潰瘍を増悪し、再出血や穿孔を起こす可能性のあること、また、治療を遷延させることから中止した。

同月二四日

原告はトイレで腹痛発作を起こし、これに基づくものと考えられる所見として、苦悶様顔貌、冷汗、ふるえ、脈拍毎分一六〇等が見られたが、血圧は一〇〇~八四と正常であり、右疼痛も約三〇分後には軽快した。同日の原告の尿量は一四一〇ミリリットルと正常であり、原告の循環状態は安定していた。

同月二五日

入院時から原告にみられた下肢のしびれ感を精密検査するため、神経内科の兼診を行い、多発性神経炎との診断を得た。

同月二八日

原告に対して、第一回胃カメラを施行した。その結果、胃体上部小弯側に深く大きな活動性の潰瘍の存在を確認し、これを出血源と診断した。

同年五月一〇日

原告の関節痛が増悪したため、整形外科にて兼診を受け、ステロイド剤(デカドロン二ミリグラム)の局所投与(関節内注入)をした。

同月一二日

原告の両手両足関節のX線撮影を施行した。その結果

〈1〉 両手関節の関節裂隙の狭少化が左に目立つが程度は少ない。

〈2〉 両手足各骨の萎縮が著明である。

〈3〉 両足外反拇指あり。強度の変形あり。

〈4〉 両手拇指MP関節の亜脱臼あり、変形が強い。

との所見を得、各関節に強い拘縮があるとはいえないとの診断をした。

同月一六日

原告の関節痛の訴えが強いため、ステロイド剤(プレドニン一〇ミリグラム)の経口投与を再開した。

同月一七日

原告に対して、第二回の胃カメラを施行した。その結果、胃体上部小弯に線状溝で互いに連なる二個の潰瘍を確認した。しかし、潰瘍は縮少しており、治癒傾向にあるものと判断した。また、胃角後壁にも胃潰瘍の瘢痕の存在が確認された。

同月二九日

原告はこの頃から、下肢のしびれのほかに、手足のしびれを訴えるようになつた。

同月三一日

原告に対して、第三回胃カメラが施行された。その結果、潰瘍の治癒傾向が顕著であることが確認された。

同年六月一九日

原告の手足のしびれ感を精査するため、再び神経内科で兼診した。その結果、リウマチを原因とする手根管症候群、足根管症候群との診断を得た。

同月二三日

原告に対して第四回胃カメラが施行され、潰瘍の治癒を確認した。

なお、原告の関節炎に対しては、理学療法等を施行し治療した。

同年七月一七日

原告の潰瘍は治癒し、また手足のしびれは改善していないものの、検査データーによりリウマチの活動度がやや減少して外来通院に移行し得ると判断したため退院となつた。

(三) 退院後、原告はリウマチ、アレルギー科に通院し、昭和五四年九月一一日を最後に医療センターで受診していない。

2 以上の診療経過から明らかなように、原告には大量出血の事実はなく、もちろん、出血性ショック状態になつたわけでもない。

詳説すると、一般に、ショック症状を呈する程の大量消化管出血があるか否かの指標は、赤血球数三〇〇万ないし二五〇万以下、ヘモグロビン濃度一〇ないし八g/dl以下、ヘマトクリット値三〇ないし二五パーセント、最高血圧が九〇以下の状態の持続、尿量の減少(一時間あたり二〇ないし三〇ミリリットル)といわれており、ショック症状の前段階であるショック準備状態の指標は、起立性低血圧(起立時血圧が臥位時血圧よりも一〇以上低下する場合)である。ところが、原告の検査結果は、入院時、四月二四日ころ及びその後にも右の指標にまつたく該当せず、その他出血性ショック症状を疑わせる兆候も皆無であつた。

3 昭和五六年一一月一九日に撮影されたレントゲン写真によると、原告の両手には第二ないし第五指にスワンネック変形、第一指に指節間関節過進展が、両足には第一ないし第四足指のMP関節の強い外反、第二ないし第四指の近位指間関節の屈曲拘縮が、それぞれ見られる。これらの手足指の変化はリウマチ患者によく見られるものであり、原告の機能障害はリウマチ性多発性関節炎及び末梢神経炎に基づくものである。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  請求原因1の事実(被告が医療センターを設置・運営するものであり、原告は医療センターで診療を受けていたものであること)、原告が、昭和五四年四月二一、二二日に吐血・下血があつたことを訴えて同月二三日に被告の消化器科で受診のうえ入院したこと、同月二四日の原告の血圧は九〇~七二ないし一〇〇~八四、脈拍は一六〇ないし一二〇であつたこと、これに対し、医療センターの担当医師は同月二八日までは輸液・輸血をしなかつたこと、原・被告間に診療契約が成立したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  原告は、右入院の前後にわたり大量の消化管出血があり、出血性ショック状態に陥つたと主張するので、判断する。

1 右争いのない事実に《証拠略》を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一) 原告は昭和五四年四月二一日夕方ころから夜半にかけて、二回にわたり、まずおちよこに半分程度の血液、次いでコイン大の凝血塊の吐血をした(以下日時の記載につき昭和五四年中のものは月日のみで記載する。)。

(二) 翌四月二二日未明に二、三回にわたり血塊を伴つた黒色下痢便があり、便器が真赤になる程であつたが、発熱、呼吸困難、悪心、吐気はなかつた。そこで、同日朝に敬愛病院で救急診察を受けたがすぐに軽快し、特段の処置を受けずに帰宅した。

(三) 翌四月二三日午前八時三〇分ころ、再度血塊を伴つた黒色便があり、全身倦怠感があつたため、医療センター消化器科で受診し、消化性潰瘍の疑いと診断され、即日入院したが独立して歩行できる状況であつた。そのときの原告の所見は、顔貌平静、意識清明、顔色良く、チアノーゼもなく、言語・発声・呼吸はいずれも正常、臥位時血圧一一二~七六、起立時血圧一一四~七八というものであり、同日外来受診時に採取した血液分折の結果、赤血球数三二六万、ヘモグロビン濃度一〇・九g/dl、ヘマトクリット値三二・五パーセントであつた。

(なお、出血性ショック症状の指標は、一般に、最高血圧九〇以下の持続又は同八〇以下、ただしショック準備状態においては臥位時血圧と比較しての起立時血圧の降下、外見的所見としては、頻脈、一時間あたり五〇ミリリットル未満の乏尿ないし無尿、応答の遅延ないし昏睡、不安ないしアパシー状態、蒼白ないしチアノーゼの出現というものである。そして、「大量消化器管出血」の医学的な指標としては、赤血球数三〇〇万ないし二五〇万以下、ヘモグロビン濃度一〇ないし八g/dl以下、ヘマトクリット値三〇ないし二五パーセント以下とされるものが多い。なお、この赤血球数等の数値はショックの重症度判定基準ではないが、出血後相当時間経過後のそれは大量出血の有無の判断についての基準たりうる。)

そして、右同日はその後下血もなく、夕食も半分程摂取するなど特段の変化はなく、また、同日午後四時三五分ころ、原告の胃内容の吸引採取をしたところ、胃液のみで血液の混入がなかつたことから、担当医は上部消化器には活動性の出血はないものと判断し、内科的薬物療法を選択し、制酸剤の投与を開始したが、副作用の疑いからそれまでのステロイド剤及び消炎鎮痛剤の服用は中止した。

(四) 翌四月二四日午後一時五〇分ころ、原告が便意をもよおし便所に歩いて行つて排便した後、突然疼痛を伴う腹部の膨満感に襲われ、便所内で昏倒するという発作が起きた(原告が五月三日ころに起きたと主張する発作は、カルテ・看護記録等に照らして、右同日の誤りと解される。)。この発作時の状況は、苦悶様顔貌、冷汗著明、全身ふるえ、脈一六〇回毎分、血圧一〇〇~八四というものであつた。原告は、右発作後しばらくは間歇的な強い疼痛を訴えていたが、三〇分後には車椅子で病室へ戻つた。そして、腹満、疼痛の状態は一時間位で治まり、午後三時ころには「今月の一三日にも同様の発作があつたがそのときよりは軽かつた。どうしたんだろう。」などと会話もできるようになつた。

なお、原告の同日の血圧は、午前六時ころ九〇~七二、午前一〇時ころ一一〇~八〇、右発作時一〇〇~八四、午後三時ころ一〇〇~九〇と推移したが、同日の原告の尿量は一四一〇ミリリットル(平均一時間あたり五八・七五ミリリットル)と正常であり、ショック症状時にみられる乏尿(軽症で一時間あたり五〇ミリリットル未満、中等度で同二五ないし一五ミリリットル未満)はなかつた。

(五) 右発作の翌日の四月二五日の血圧は、午前九時一二六~八六、同九時三〇分一三二~九一、同一一時二五分一一〇~七〇、午後三時一三〇~八〇であり、血液検査の結果も、赤血球数三四六万、ヘモグロビン濃度一一・一g/dl、ヘマトクリット値三四・一パーセントであつた。

(六) 四月二七日に至り、翌二八日から一日当たり輸液ソリタT3一本を行うことが決定され、施行された。

(七) その後、四月二八日の胃カメラ検査では、胃体上部に深く大きい活動性の潰瘍の存在を確認し、出血源と診断されたが、五月三一日の胃カメラ検査では潰瘍の縮小、治癒傾向が、六月二三日の胃カメラ検査では治癒が、それぞれ確認された。

そして、右発作時以降七月一七日の退院までの間の原告の所見は、四月中は数回の黒色便があつたが、五月一日には便の色も普通になり、尿量は散発的に少ない日はあるものの全体としては正常(四月二四日から同月末日までの平均が一時間あたり約六七・八ミリリットル)、血圧も最高血圧が一〇〇を切ることもなく、概ね最高血圧が一一〇ないし一四〇、最低血圧が七〇ないし九〇の範囲内で推移するという内容であり、発熱時を除き食欲も良好であつた。

(八) なお、以上のほかに、手足のしびれ、朝の関節のこわばり、疼痛(特に関節痛)、微熱(ただし一時的に三八度を超える。)などのリウマチ様症状が見られ、特に入院後プレドニンの投与を中止していた間は関節痛等が制御困難な程度に悪化したため、潰瘍関係を担当する消化器科とリウマチ関係を担当する整形外科との間で兼診等による連絡をとつたうえ、「潰瘍悪化の可能性を十分承知しながらも、ステロイドを用いざるを得ない」(カルテの記載)との結論に達し、五月一六日からプレドニンの経口投与を再開した。ただし、その後も消化器科医師は、胃カメラ検査を三回にわたり施行するなど再出血に対する警戒を継続した(結果的には前記のとおり潰瘍は治癒し、またステロイド剤の関節痛に対する対症療法的な成果もみられた。)。

2 以上の事実に明らかなとおり、原告には、四月二一日から二三日にかけて消化管出血があつたことは認められるものの、同月二三日午後四時ころには一応活動性の出血がなくなつていることが確認されており、前記発作が起こつた四月二四日には血圧の低下がみられるが、翌日には回復している一過性のものであり、大量出血の指標となる赤血球等の数値も入院時及び同月二四日ころとも正常値の範囲内にあつたことが認められ、これに照らせば原告の右発作は出血性ショックによるものとは認め難く(同発作時に見られた苦悶様顔貌はショック状態におけるアパシー顔貌とは明らかに異質であり、頻脈冷汗を伴う原因不明の疼痛発作と認められる。)、特に大量出血に対する加療をすべき状況があつたとは到底認めることができない。

なお、《証拠略》中には、原告の主張に沿う供述部分があるが、《証拠略》に照らして、採用することができない。すなわち当時原告が主張するような症状(たとえば原告は前記便所での昏倒の後高熱に襲われ、指がポキン、ポキンと音を出して見る間に変形していつたという。)があつたとすれば、これをそのまま右カルテ、看護記録等に記載して何ら被告にとつて不都合はなく、それに対応する手当てをすれば足りることであり、これらカルテ・看護記録等の記載は十分信用できる。

また、原告の機能障害の原因は、循環血液量の減少による虚血性脊髄疾患であるとの本間光正医師の診断があるが《証拠略》によれば右診断はもつぱら原告の供述に基礎をおくもので、その供述の信用性並びに本件昭和五四年四月二三日以降の客観的医療データ及び医療センターでの治療について十分の吟味を経たものではなく、必ずしも厳密な病理学的因果関係を踏まえた判断とはいえないことがうかがわれる(なお、同医師には、患者の愁訴をそのまま受容してやり、精神的な安定による治療を重視する治療方針があり、客観的な診断とは認め難い。)。

したがつて、これをもつてしても、原告の主張を認めるに足りない。

3 以上により、当時原告が大量出血による虚血状態であつたとの主張は認められないので、その余の点を判断するまでもなく、原告の主位的請求原因(輸液・輸血等をしなかつた過失による債務不履行責任)は理由がない。

三  次に、ステロイド剤の過剰投与による過失につき判断する。

1 原告は、ステロイド剤の過剰投与が上部消化管からの大量出血という副作用を生じ、出血性ショックを誘発し、そのために虚血性脊髄疾患が生じたと主張するようであるが、右二で認定したとおり、大量出血の事実及び出血性ショック症状が現れた事実を認めることができない以上、右過失につき判断するまでもなく、原告の機能障害との間の因果関係は否定せざるを得ないことになる(右以外の因果関係に関する主張・立証はない。)。もつとも、原告の請求は、適切な診療を受けられなかつたこと自体の慰謝料請求を黙示的に含んでいるとも解されるので、進んで、右過失につき判断する。

2 まず、《証拠略》によれば原告の前記消化管出血が結果的に見てプレドニンの副作用によつて誘発された疑いは否定できない。

しかし、ステロイド剤自体が、後記のとおり、そもそも副作用の危険を有しながらその効用を広く認められている薬剤である以上、結果的に副作用があつたとしてもただちにプレドニン使用上の過失を基礎づけるものとはいえず、その適応の判断及び使用量の適否を具体的に考察する必要がある。

3 そこで、検討するに、《証拠略》によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 原告は昭和五二年一一月一六日に医療センター整形外科で受診し、右五十肩及び変形状腰椎症と診断され、次いで、昭和五三年二月一六日に右肩痛を訴えて同科で再度受診し、左肩関節周囲炎と診断された。その後、原告は、昭和五四年四月二一日まで一、二週間に一回程度の間隔で同科で外来受診したが、この間、ほぼ一貫して左肩の疼痛、両手関節の腫れ及び疼痛を訴えていた。

(二) 同科担当医師は、右症状に対し、まず非ステロイド系消炎剤(まず効力の弱いオパイリン、次いでより強力なブタゾリジン等)を投与し、次いで昭和五三年三月一五日にステロイド剤であるデカドロン二ミリグラムの肩関節局注をしたが、いずれも効果を挙げることができなかつた。

(三) このような関節の疼痛・腫脹の継続及びRA反応がツープラスであつたこと(リウマチ因子の明らかな存在を意味する。)などから、担当医師は、昭和五三年三月二九日ころには原告の疾患をリウマチ性多発性関節炎及び末梢神経炎と診断し(なお、その後同年一二月の尿酸値等検査により、リウマチからの除外項目としてもつとも考慮された痛風の可能性が否定され、昭和五四年一月九日ころにはリウマチを示唆する症状の一つである朝のこわばりも見られるようになつた。)、昭和五三年四月一日から非ステロイド系薬剤と併用してステロイド剤であるプレドニンの継続投与を開始した。

(四) プレドニンの使用量は当初一日五ミリグラムであつたが、原告の症状(特に関節痛)をなお制御することができなかつたため、昭和五四年二月一五日からは同一〇ミリグラム、同年三月二〇日からは同一五ミリグラムと増量した。その後も原告の疼痛は続いたが、右使用量を継続すると副作用のおそれがあり、また、薬物だけによる症状の制御は困難であるとの判断から、昭和五四年四月二一日には同一〇ミリグラムに減らした(なお、同月二三日に吐血・下血を訴えて入院したためにステロイド剤の使用を中止したことは前記のとおりである。)。

4 以上の事実に基づいて、原告の請求原因5の主張(当時原告にはステロイド剤の適応はなく、又は過剰投与であつた。)につき判断する。

(一) まず、ステロイド剤の一般的な適応及び使用量については、《証拠略》によれば、ステロイド剤は強力な抗炎症作用を持つ薬剤であり、その意味で本来対症療法的なものであるが、特に活動性の慢性関節リウマチに対しては、速やかに寛解期に導入することができる最もすぐれた薬剤の一つとされていること、他面、ステロイド剤には、胃潰瘍、糖尿病その他の多様な(場合によつては危険な)副作用が生じうることが広く知られており、他の抗炎症剤が有効な場合には使用すべきではなく、使用量もできれば一日一〇ミリグラム以下に抑え、長期使用を避けることが望ましいとされていること、ただし、ステロイド剤のなかではプレドニンは長期使用による副作用が比較的少ない薬剤であるとされていること、以上の事実が認められる。

(二) そこで、これを本件について見るに、医療センター整形外科においてプレドニンを使用していた当時、原告には非ステロイド系抗消炎剤によつては制御しえない程度の強い関節痛等が継続しており、しかも右症状はリウマチ性関節炎によるものと判断するに十分な根拠があつた(《証拠略》によれば、アメリカリウマチ協会のリウマチ診断基準に従つて判断すると、原告の当時の症状はリウマチによるものであることが「確実」とされるものであつたことが認められる。)。これに右(一)の事実を総合すると、当時原告にステロイド剤が適応すると判断してこれを投与したことに担当医師の過失があるとはいえない。

また、《証拠略》によれば、同医師は、昭和六一年以降原告はリウマチではないとの診断の下に治療を行い、その症状に改善のみられることが認められるが、それも右各認定事実に照らし、担当医師の過失を肯定するに足りるものではない(もし同医師が供述するように昭和五四年四月当時の出血による脊髄虚血がその原因とすれば、これ以前の病状についての原因はなんら解明されていない。)。

(三) 次に、プレドニンの使用方法についても、前記認定のとおり、まず非ステロイド系抗消炎剤から始め、その不奏効が明らかになつてからステロイド剤の投与を開始し、プレドニンの継続投与後も、原告の症状に応じて五ミリグラムから段階的に増やし、一時点に一日一五ミリグラムという比較的多量の投与をした時期もあつたが、副作用を懸念して一か月後に減量していること、この間一年に及ぶ長期使用となつたが、前記認定のとおり原告の疾患がリウマチであるとの診断が相当と認められ、原告の関節痛をなお制御しえない状況下での処置であつたことなどに照らすと、前記認定のプレドニンの投与が、診療契約上の注意義務に違反する過剰なものであつたと認めることはできない。

また、原告は、昭和五四年五月一〇日以降に再開されたステロイド剤の投与についても過失を主張するようであるが、原告の主張する大量出血及び昏倒事故の後のことであるから、右事故と関係のないことは明らかであるし、前記二1(八)の認定事実に照らして、この点についても担当医師に過失を認めることはできない。

5 以上により、原告の予備的請求原因(プレドニンの過剰投与の過失による債務不履行責任)も、その余の点を判断するまでもなく、理由がないというべきである。

四  よつて、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 稲葉威雄 裁判官 山垣清正 裁判官 宮坂昌利)

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